2014年11月20日木曜日

ひっそり暮らしたいという気持ち

今年の6月から、公的機関で経営相談のお仕事を始めた私。
「もっとSEとしての経歴をPRしたらよいのに!」
「講師として名前を売るチャンスなんだから、もっと積極的にマスコミに出ればよいのに!」
そう言っていただくことが増えました。

「どんな形であれ人前に出れば、碧香堂やグリーフケアギフトへの注目も集まるかもしれない」
そう考えようとするのですが、尻込みしてしまう自分がいました。
正直に言ってしまうと「それはごもっともなのですが、なんだか、気が進まないのです…」という状態です。

私は死別直後に、それまで普通の人だと思っていた人にひどく無神経な言葉を投げつけられてから、
対人恐怖症のようになったことがあります。
自分では克服したつもりなのだけれど、まだ恐怖心が残っているのかもしれない。
それとも私はまだいじけているのだろうか?

そんな風に自問自答していたある日、私と同時期に旦那様を亡くした経営者の方とお話しをする機会がありました。
その方は、私と同じような気持ちがあるとおっしゃいました。
「自分の名前や写真を自社ホームページに掲載するのさえ嫌だ」と。

そういえば私も、「ひっそり暮らしたい」と思って、ネットショップ運営の道を選んだのでした。

「ひっそりと暮らしたい」「目立つことは嫌だ」。
この気持ちは、手痛い死別を経験した方に共通する気持ちなのかもしれない。
ちょっとしたヒントをいただきました。


そのまた後日。お仕事で遠方のホテルを訪れました。
このホテルは、私がSE時代に最も大変だったプロジェクトの間泊まり込んでいたホテル。
遠い昔のことなのですが、ちょっぴり複雑なこのホテルの構造を覚えている自分がいたりして、
当時の張りつめた気持ちと忙しかった日々を、懐かしく思い出しました。
痛みと共に。

そうして私は、ようやく気づくことができました。

私は、SEとしてやり残したことがあり、未練があるのです。
産休前には、「出産後も続けられる仕事」を求めて社内で実績とコネクションをつくり、
「30代は何が何でも育児と仕事を両立させて見せる」と意気込んでいました。
それなのに、想定外の息子の病と闘病生活、そしてそのショックすぎる終わり方に、私はすっかり打ちのめされてしまいました。
息子の死別後、なんとか職場復帰はしたのですが、以前のように頑張れない自分に気づき、退職という道を選んでしまいました。

私にとって、SEとしてのキャリアを意識することは、息子との死別を思い起こすことにつながります。
だから私はSEとしてのキャリアを意識したり話したりすることが嫌だったのです。


PTSDの症状の一つに、「回避行動」と呼ばれるものがあります。
ショックを受けた出来事やそれを連想させる行動や物事を避けようとする心の働きです。

私にとって、SEとしての記憶をたぐることは、息子の死を連想させるので、
私はそれを回避していたのです。

謎が一つ解けました。

どうすれば克服できるのか、今はまだ分かりません。
けれど、このことに気づけたことは、私にとって大きな前進です。
今までに「自分の課題を認識さえしてしまえば、解決までは意外に早い」という体験を繰り返しているからです。
今度もきっと、いつか自分なりの解決方法にたどり着ける気がします。


そしていつかあの経営者の方に、この発見を伝える機会があればと思います。



参考:PTSDについて(厚生労働省のサイト)
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_ptsd.html

0 件のコメント:

コメントを投稿