2013年12月20日金曜日

子供との死別-(Cruse Bereavement CareのHPから)

Cruseは各種資料を冊子やオンラインで提供しています。

以下のページに、様々な死別についての記述を見つけました。
http://www.cruse.org.uk/publications/fact-sheets
「親との死別」や「配偶者との死別」、「自殺による死別」などについて
それぞれのガイドがPDFファイルで提供されています。

今回は、その中から「子供の死」を選んで訳してみました。
--------------------------------------------------
『私は怖い。私は何をしているのだろう。
私はまるでジェットコースターの中に入れられた繊細なティーカップのようだ。
とても現実のこととは思えない。この悪夢はいつ終わるのだろう。
寂しくて弱くなってしまった。クルーズだけが頼りだ』

子供の死は親が直面する経験の中で最も衝撃的な出来事です。
子供の死はやりきれない死の代表例です。
親と子の関係は、他に置き換えることのできないものだからです。

多くの親にとって、子供の死は自然の秩序に逆らった出来事です。
子供は親より長生きするはずなのです。
これは、死去したのがどのような年齢の子供であっても同じです。
誕生前であろうと、成人した大人であろうと、
子供との死別による絶望感は圧倒的なものです。

子供の死は、衝撃と不信と混乱と無力感をもたらします。
まるで悪夢の中にいるようです。
死別の痛みは、いくつかの症状を引き起こします。

◇身体的症状:睡眠障害、食欲減退、極度の疲労感、感情的・肉体的な疲労
◇分離不安:死んだ子供への深い切望、胸を引き裂かれるような痛み
◇相反する感情:怒りと罪の意識
◇もし~していたら症候群:例えば「もしもっと早く病気が見つかっていれば」など

深い悲嘆の期間を通じて、死別の状況の詳細を何度も何度も思い出すことは必要なことです。
全ての人はそれぞれ異なった悲嘆のプロセスをたどります。
しかし、癒しのプロセスには、時間の経過と共に、次の要因が共通して現れることが知られています。

逃避
倦怠感はとても早い時期に現れます。
また、疲労感や絶望、苦悩や様々な意欲の減退もみられます。
この時期に、多くの親は友人を避けるようになります。
悲しみに圧倒されているからです。

受容
この時期に、親たちは起こった出来事は覆らないことを認めます。
この恐ろしい死別の意味を見出そうとし、許し、前進しようとします。

再生への学び
この段階は全ての感情が統合され、悲嘆から抜け出そうとした時に現れる最終段階です。
心が締め付けられたり泣いたりせずに愛する我が子を思い出せるようになります。

悲嘆との共生
愛する人を亡くした後、人は悲しみを抱えたまま前進することを選びます。
愛する人を生き返らせることはできないし、存在を消すことはできないからです。

この死別による悲嘆の経験は、否定したり逃避したりすることができませんが、
最終的には私たちを癒してくれます。
子供との感傷的な思い出を、激しい痛みを伴うことなく、愛しめるようになった時、
私たちは前進することができます。

この悲嘆の道のりの中で、最終的に私たちは変わってしまった自分を発見し、価値観の変更を余儀なくされます。
そして、私たちは虚無感を埋め、人生を再構築する強さをつかむことができます。
--------------------------------------------------
Cruseの英語は分かりにくく難しいのですが、
今回は全て分かりすぎるくらいに理解してしまいました。
何故なら、全ての事柄に私は思い当りがあるからです。

子供を亡くした直後はひどく混乱します。
「あの時私がああしていれば」と自問自答を繰り返し、
「私は子供を死なせてしまった」という罪の意識と、
「なぜ私とあの子がこんな目にあわなければならないのだ」という怒りと、
あらゆる激しい感情が絶え間なく襲ってきます。

この期間のことを言葉に表すのは難しいです。
どんなに偉大な作家でも、自分の子供を亡くした時のことは上手に書き表せないくらいです。

ただ、一瞬ぼんやりと「人間、食べられなくて寝られなくて、
どんなにひどい感情に支配されていても、簡単には死なないのだな」
と不思議に思ったことは覚えています。
しかしそれもすぐに「じゃあどうしてあの子は死んでしまったのか」
という怒りの感情にかき消されたのですが。

身体的な不調もずっと続きました。
片頭痛になったり、閃輝暗点になったり。
少し無理をすると、すぐに風邪をひいたり、おなかを壊したりしていました。
半年間ずっと大腸がんの検査ができず、健康診断の会社から注意されたくらいです。

けれど、何年も、どうにかこうにかやり過ごしていると、
いつの間にか子供との楽しい思い出を反芻している自分に気が付きます。
このむごたらしい出来事も、私たちの大切な思い出までは奪えないのです。
思い出を捨てずに、悲しみと共生しながら生きてゆくことが
いつの間にかできるようになっています。

だから、とにかくまずは3年耐え忍んで、生き抜いてみてください。

私は、当時子供を亡くした先輩からそう言われ、
「そんなことはない。私はこの苦しみと痛みを一生忘れない」
と反発しつつも半信半疑で頑張ってみましたが、
事実その通りでした。

死別前の世界には戻れません。
けれど、思い出も愛情も忘れずに、再び人生を歩んでいくことはできます。

気長に、ある意味あきらめて、もう少し生きてみてください。
少なくとも、今よりはずっと生きやすい日々が待っているはずです。

0 件のコメント:

コメントを投稿